チベットの宗教家でダライダマ14世という人がいます。
ノーベル平和賞を受賞した宗教家の人です。
時間が許せば、下記を検索してください。
【ダライラマ14世 幸福論】
この人曰く、
ドラッグやアルコールやお金から幸せは得られません。
究極の幸せや喜びは、思考によってのみ得られるのです。
そして、宗教への信仰心から得られるものでもないのです。
信仰するのではなく、考えなければなりません。
我々人間の頭脳を使い、科学的に考えなければなりません。
神様や仏様に祈る必要はないのです。
その点において、釈尊は非常に賢明でした。
「私は人々の苦しみを取り除くことはできません。
私は人々の否定的な感情を洗い流すこともできません。
私は私自身の心の平穏を人々に与えることもできません」。
釈尊は、ご自身の経験を元にした心の平穏を得る方法を、ただお示しになったのです。
素晴らしいですね。
1人の人間としての釈尊であり、神様ではありません。
幸せを得るためには、ただ神様に祈るだけではなく、自らの頭でしっかりと考えることが重要であるとダライ・ラマ14世は説きました。
きっと、何かにすがりたい思いで神様に祈りをささげ、安心感を得ている人も多いでしょう。
しかし『本当の幸せ』をつかむには、誰かをあてにするのではなく、自らが行動しなければならないと考えさせられます。
【ダライダマ14世の担当者は、上記のように日本語で伝えています。】
こんあ高僧が宗教を否定するような発言をしていますが、その言葉を聞いた人は妙に納得しています。
多くの人の心の中に同じ思いがあるのかも知れません。
納得させられる言葉です。
かと言って、
言葉をそのまま解釈し受け入れると、この世から宗教が消えてしまいます。
私のロゴであるシンボルマークの言葉は、
・ 出あい
・ ふれあい
・ 語りあい
・ 集いあい
・ 認め合い・・・・・の、5文字からなっています。
このロゴマークを40年近く使っています。
ダライダマ14世の言うように宗教を否定すると、人びとの心に自由が来るのだろうか。
それで多くの人が救われるのだろうか、と疑問が残ります。
どの宗教が良いとか悪いとか表現できませんが、
【え~~、チョット自分の思いと違うよな!】というような宗教の理念があります。
それでもその違いを批判したり拒否すれば、対人関係が損なわれ、宗教上の争そい【宗教戦争】が生じます。
一神教で前世がどうだこうだ、現世がどうだこうだ、来世は天国や地獄。
仏教宗教で来世は地獄や西方浄土。
宗教心をもたない人からみると、そんな言葉は受け入れがたいことです。
牛肉を食べない、豚肉を食べない、輸血をしない。
各宗教には特色があり、その決まりを戒律として学び生きる糧として生活している人がいます。
多くの人がダライダマ14世の言葉を受け入れても、そのまま解釈して行動に移すわけにはいきません。
自分の考えと違っても自分の利益とならずとも、集団生活に適応するには相手を受け入れ認めることが大切です。
人には相手から【認められたい・ほめられたい】という欲があります。
その欲のために頑張り過ぎて倒れたり、欲を満たすために悪だくみで相手を騙す人がいます。
また欲が満たされないと思った時は、無責任な言い訳をします。
心配し過ぎて不安や悩みを抱えたりしますが、これらは【認められたい・ほめられたい】という強い欲が心にあるからです。
神奈川県相模原市の障害者無差別殺人。
この加害者が障害者を殺した後で、【障害者は人間社会に必要でない】と言い放っています。
この言葉は加害者の【言い訳】に過ぎません。
親は教育者であり、加害者も教育大を卒業し卒業した学校で教育実習を受けています。
それでも教職に付けず【認められなかった、ほめられなかった】と、欲が満たされていません。
頑張ったであろう加害者は、挫折し、それを補うような【言い訳】を実行しています。
その言い訳が世間に通用するかどうかの【理性】が本人にありません。
ルールやマナーという理性は、経験することで得られます。
殺人というルール違反をし、思いやりというマナーも未熟です。
これらの未熟さは、子供の頃に対人関係の経験が少ないからです。
学歴社会、出世主義、利権主義、個人主義・・・等々が影響しています。
【いじめ】の問題も一緒です。
利己的になり、自分だけの欲を追求し過ぎて仲間外れになり孤立します。
孤立したくない人が【言い訳】を繰り返します。
子供の躾の大切なことは【子供には失敗をする権利があり、親には子供の失敗を支える義務がある】と言います。
親は情報過多の社会でいろいろの社会悪を知っています。
そんな失敗をさせないように、子供がしなければならない経験を束縛したり誘導したりし過ぎています。
この加害者の青年は大学で勉強中に、体に和の入れ墨(般若の入れ墨)入れて同級生に自慢していたとか?
尚且つ危険薬物をも使用していたとの報告もあります。
何か自慢し、認められることを探していたようにも見受けます。
これでは人間の【理性】が育ちません。
【荒波を乗り超えて人並みの船乗りになる】とも言います。
親は子供が失敗をすると社会に迷惑をかけたり、恥ずかしいと思うようですが、
子供の内の失敗は、社会にそれほど迷惑をかけません。
子供が大人になって、
社会に迷惑をかけるように失敗しないように、多くの対人関係の経験をさせて欲しいと思います。
加害者の心のあり様を述べましたが、これが絶対というものではありません。
こういう分析も有り得るのだな、その
程度で理解して下さい。
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